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インタビュー2021.07.16

たまゆらのお客さま訪問 vol.4 フィギュア企画・製造・販売を行う 株式会社海洋堂 を直撃訪問!

《法人営業部のお客様》
たまゆらのお客さま訪問 vol.4 

  • 「フィギュアメーカーといえば?」で思いつくフィギュアメーカー【株式会社海洋堂】

    (株式会社海洋堂「海洋堂ホビーランド」)

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    たまゆらのユニフォームを愛用していただいているお客様の声をお届けする訪問企画!
    「どんな風にたまゆらのユニフォームを使っていますか?」

    第4回目となる今回は、2021年6月26日に京阪門真市駅前のイズミヤ門真店3階に新しくオープンする、約580坪の「海洋堂ホビーランド」をきっかけに、たまゆらのユニフォームを導入していただいた「株式会社海洋堂」創業者でもある宮脇修館長とスタッフの妹尾さまにインタビューさせていただきました。

     

     

    株式会社海洋堂は1964年大阪府守口市創業。

    現在はハイクオリティトイ・カプセルトイ・関節可動式フィギュア(リボルテック)・ガレージキット(組立模型)の企画・製造・販売を行っているパイオニア企業です。

    ガレージキット、食玩、カプセルフィギュア、好きなアニメのフィギュアなど、海洋堂の製品は誰しもきっと一度は目にしたり手にとったりしたことがあるはずです。

    株式会社海洋堂とは?ーーーーー

    ”80年代初頭より、店舗・個人レベルで複製・量産できる手法を用いた模型「ガレージキット」の製作販売をいち早く手がけ、おもちゃ然とした商品とは一線を画す造形作品を次々と発売。’99年には、チョコエッグ「日本の動物シリーズ」で食玩ブームを巻き起こす。

    造形物の精巧さや造形センスは世界屈指の水準を誇り、博物館オフィシャルフィギュアや現代アートの作品と認められたものも多数あり、一般層にまで知名度を拡げるとともに「フィギュア」を普及、浸透させた。

    「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある」をキャッチフレーズに掲げ、食玩やフィギュアを中心に、5,000種を超えるありとあらゆるものの立体作品を世に送り出している造形集団である。

    ーーーーー(海洋堂のWebサイトより一部抜粋して引用:https://kaiyodo.co.jp/

 

株式会社海洋堂立ち上げのきっかけ

 

海洋堂のはじまりは、1964年4月1日。

大阪府守口市、京阪土居駅前の1坪半の小さな模型店「海洋堂」から始まりました。

「あっはっは!」と無邪気によく笑う陽気な宮脇修館長は、齢93歳。

キラキラした目で当時のことを一つ一つ丁寧に振り返ってお話を聞かせてくださいました。

 

宮脇館長

 

 

 

宮脇館長「昔、私はとても短気もんで、全然仕事が続かなくて30回以上いろんな職を転々としていたんですよ。

 

仕事を一生懸命やればやるほど他の人と差がつくから妬まれたりして。もうこんなとこおれるかー!となっていたんです(笑)当時結婚していたけれど、朝仕事に出ていったらもう辞めたって言って帰ってくるもんだから、嫁も大変だったと思います

でも息子が学校に行くのに、父親が何も仕事をしていないのはかっこ悪いから自分で何か始めようか、ということでお店を始めることにしました。私が36歳の時です。

1坪半の何もない小さな場所で何の店を始めよう?というときに、木刀で人生を決めたんですよ。東西に倒れたらうどん屋さんで、南北に倒れたらプラモ屋になろうって」

木刀で決めた人生「東西に倒れたらうどん屋さん、南北に倒れたらプラモ屋に」

 

この木刀を使って、うどん屋になるかプラモ屋になるか、人生を決めたと宮脇館長は言います。

30以上の数多の仕事をされてきた中で、香川の手打ちうどん屋で修行をしていたこともあってうどん屋が候補に上がり、プラモデルに関しては特に好きだったわけでもなんでもなく、当時流行っていて息子が好きだったからだそうです。

倒れた木刀は、南北。宮脇館長はプラモ屋になる選択をしました。

これが今につながっているのだと思うと一つの判断が人生を変えるのだと考えさせられますね。

 

「海洋堂」の由来
宮脇館長「過去にやった仕事でマグロ漁船に乗っていたこともあって、海が好きだったんです。最初は何にもなかったけれど、『一番小さい店から日本で一番大きい店にする!』という気持ちはあって、大きくて広いイメージの名前にしたかった。

最初は「海」と「宙」を考えたけどうまくつながらず、「空」と「海」で「空海」!?はさすがに空海さんにおこがましだろうということで諦めました(笑)

最終的に「空」は諦めて、「ひろい海」→「海洋堂」と名付けました」

 

 

ただのプラモ屋ではなかった

宮脇館長「当時全国に1万軒ものプラモデル屋があった中で、海洋堂では500〜600円ぐらいの「鉄人28号」みたいな模型を中心に、潜水艦や戦車などのプラモデルを4万点も売って急成長。タミヤの模型を3年間で日本一売ったということで海洋堂は全国に広まって、立ち上げから、3年でお店は15坪まで広がりました。

ただ売るだけではなくて、15坪の店内には15mのプールを作ってその上に砂を敷いて自分で作った戦車や潜水艦、船などの模型を走らせたり浮かべたりできるような、まるで遊園地のようなジオラマがあるお店を作ったんです。自分で作った戦車をそこで走らせるために1週間待ちっていうぐらい、近所の子供から大人までいっぱい集まってきてそれはそれは、大人気でしたよ。

今になって思うのは、自分はプラモデルが特に好きなわけではなかったから、プラモデルが好きな客が集まってきて何をしたいのか冷静に見て、お客を喜ばせることを考えられた。商いのセンスはなかったけど(笑)、決して人がやらないことを自分がやりたいように楽しくやってきたことが、良かったのかなと思います」

 

 

 

帆船(はんせん)のプラモデルからスタートし商品開発がスタート

そして模型店を営む傍ら、宮脇館長は自分で帆船を作って売り始めます。

 市の美術展で見事な帆船を出品して、工芸の部で見事優勝!

なのに「これがプラモデルだ」というと、プラモデルはアートではないと主催者に優勝を取り消されてしまったのだそう。それに対して意義を申し出て、無事に優勝の座を取り戻したという作品がこちら。

確かに言われなければとてもプラモデルとは到底思えない、重厚感のある見事な作品です。こちらは海洋堂ホビーランドで見ることができます!

(修羅の帆船)

 

当時このような大きい帆船を作っては、大企業などに70〜80万円で売り込みに行っていたと宮脇館長は言います。当時、「大阪の3ケチ(丸ビル・サントリー・森下仁丹)」と言われていた企業にも売りに行けばみんなに喜んで買ってもらえたそうです。

帆船のプラモデルの材料はこのように箱の中にキットが入っており、その細かいパーツを切り取って図面通りに組み立てていくというもの。

そして宮脇館長は帆船のプラモデルを作る中で、帆船模型を素早くたくさん作るためにはどうすればいいか、ということで道具の商品開発を始めます。

宮脇館長は、日本で初めて、医療現場で神経を抜くために使う器具からイメージして作ったプラモデル用の「ピンバイス」や、自転車の空気入れを改造して作った色を塗るプラモデル用のエアスプレー「スプレーエース」を開発して売り出しました。

 

10年で世界に広がって、その後落ち込み、そこからの復活

その後、海洋堂の勢いはうなぎのぼり。アメリカのプラモデル会社「レベル社」の社長は当時宮脇館長が日本でレベル社の帆船を売りまくっていたのを聞きつけて、なぜ日本でそんなに帆船が高く売れるのかとわざわざアメリカから宮脇館長に会いに来られるほどだったのだとか。

10年で世界中に名を轟かせた海洋堂ですが、宮脇館長が体調を崩したのをきっかけに緩やかに落ち込んでいく時代がありました。

そこからの復活の鍵は、若者の力だったと言います。

 

海洋堂に集まってきた若者のクリエイターたち

200坪の大きな倉庫を借りて若者がやってきては去ていくようなたまり場になっいたそうです。宮脇館長の奥様は毎日そこに集まる若者のために1日20人分のカレーを作ていらっしゃったとか!

1992年から海洋堂が主催となり開催していた「ワンダーフェスティバル」というイベントには、全国からたくさんの若者が集まり、1日3,000万円以上ものガレージキットなどを売っていたそうです。

このイベントがきっかけになって、「海洋堂にきたら好きなものを作れるぞ」という噂を聞きつけてものづくりに興味がある若者が海洋堂に集まってくるようになりました。

【BOMEさん】最初はアニメ好きな海洋堂のお客さんで若い女の子のフィギュアを作るクリエイターとして一躍大人気に。

 

【松村しのぶさん】動物のフィギュアが大人気になった、フルタ製菓チョコエッグ「日本の動物シリーズ」のフィギュア原型を作った方。

このように、集まってきた才能のある若いクリエイターを巻き込み、才能を生かして次々と新しいことに取り組んできた結果が今につながっています。

宮脇館長「長い時間はかかってしまったけれど、人の真似をしないで、新しく好きな物を60年作り続けてやってきました」

 

 

海洋堂ホビーランドのユニフォームはどんな感じ?

 続いて、門真の海洋堂ホビーランドで働くみなさんがどのようにたまゆらのユニフォームを活用されるのか、スタッフの妹尾(せのお)さんにお話を伺いました!

 

たまゆらに依頼することになったきっかけ

妹尾さん(左)は、お母さまが海洋堂で働いていたことがきっかけで、高校生の時のアルバイトをきっかけに、イベントなど海洋堂とは付かず離れずの関係で、そのほか様々な仕事を経験しながら、現在は館長の片腕としてご活躍されています。

 

 

妹尾さん「これまで海洋堂にはユニフォームはなく、イベントのときにジャンバーを着るぐらいだったんです。

今回オープンする海洋堂ホビーランドは、【ものづくり】がテーマということで、私たちスタッフは「館長の頭の中を研究する研究員」(笑)という設定で、研究員をイメージできるようなエンジニアコートをずっと探していたんです。

でもちょうどいいものがなかなかなくて困っていたんですね。白衣にすると病院みたいになってしまうし、研究員らしいかっこよくてちょうどいいコートがどこかにないものかと…

そんなときに取引先の銀行の方にたまゆらさんをご紹介いただいて、提案いただいたのが今着ているコートです」

 

海洋堂ホビーランドのユニフォームのいいところ

「初めて手に持った時は一瞬、重いかな?!って思ったんですが、着てみたら全然そんなことはなかったです。すごくよく伸びて作業がしやすくて、とても気に入りました。

コート自体は既製品なんですが、たまゆらのデザイナーさんに、胸元と首元に海洋堂ホビーランドのロゴワッペンを施して、赤いボタンに付け替えるというカスタマイズの提案をしてもらいました。

このエンジニアコートを着るのは海洋堂ホビーランドのスタッフだけなのですが、本社の人たちからも欲しいと言われているくらいみんな大好きになっているんですよ(笑)」

 

1.伸縮性があってよく伸びる!

2.海洋堂らしいあしらい。洗濯するほどに馴染んで、ついたペンキも味に!

3. キッズサイズも展開

担当営業の海道「今日お披露目させていただきます!キッズ用のエンジニアコートです」

海洋堂ホビーランドでは「フィギュア塗装教室」というワークショップを実施予定。
来場した子供たちがエプロンがわりに着られます。(110cm/130cm)

 

フィギュア塗装教室

好きなフィギュアを選んで色付けし、観察する力を養う教室。図鑑などを見ながら動物の色を参考に、アクリル絵の具を使って乾かしながら重ねて塗っていきます。

一人1,000円で60分程度。小学校3年生〜が対象。それより小さいお子さんたちも親御さんと一緒であれば参加可能です。

 

スタッフさんのエンジニアコートから始まり、館長のキャプテンコートもたまゆら提案で実現!

(いつまでも眺めていたい、ワクワクする気持ちになれる館長室のイメージイラスト)

海道「イラストの中で館長が着ているコートは、「海底2万里」という映画の潜水艦ノーチラス号のネモ船長のキャプテンコートをイメージしたそうです。この絵のイメージを広げてデザインを起こして、何回も打ち合わせしてボタンやテープの幅などもこだわって、キャプテンコートを作らせていただきました。このコートの納品の時には弊社社長の岡本から一点ものの帽子も一緒にプレゼントさせていただきました!」

 宮脇館長「子供たちがこのホビーランドに来たときのことをいろいろ考えています。子供に夢を持ってもらうためには、ある程度大人の演技も必要です。このキャプテンコートを着て子供たちを迎えて、いろんな話をするのが楽しみで仕方ありません」

 

 

たまゆらのいいところは、一緒に楽しみながら作ってもらえたこと!

 宮脇館長「一緒に楽しんで作ってもらえたことがよかったです。たまゆらさんは、スタッフみんなが元気に一生懸命取り組んでいて、とても活気がありますね!」

 

【たまゆら営業担当】海道 

・特販部部長 入社20年目

海道「宮脇館長様にパワーいただき感謝!妹尾マネージャー様との出会いに感謝!」

 

 

宮脇館長の今後やりたいこと

 今後の展望をお伺いしたら、「もう93歳だけどね〜」と大笑いしながらも、明確に答えてくださいました。

宮脇館長「高知県の四万十町にある「海洋堂かっぱ館」の近くに、馬之助神社という神社があるんですが、その祠を建てたのが私の親父らしいんです。なので、そのかっぱ館から神社までのエリアに「かっぱランド」をつくることですね。

そして3,4年はこの海洋堂ホビーランドをやって、そのあとはもっともっと大きいテーマパークを作りたいね!あっはっは!!」

 

「若さの秘訣は、夢を食うこと」

 

宮脇館長

「面白い人生を93年生きてきました。小説書くとか、やろうと思ったことは全部叶えてきました。今までホラ吹いたことをどんどん実現してきたので、言ってると夢は実現するっていうのは本当ですよ。子供たちにもどんどん夢を見て、夢を食って、実現して行ってほしいと伝えていきたいですね」

 

 

 

写真ギャラリー(取材は5/24)

準備中の海洋堂ホビーランドの様子を撮影させていただきました!


入口の周りにずらっと描かれているのは、宮脇館長が先頭で、その後の海洋堂入社順に造形師や塗装師とフィギュアの写真がコラージュでデザインされている。

 

海洋堂の始まり、1坪半の小さな模型店から始まる展示には昔の模型が山積みに!

息子さんである宮脇専務のミリタリーコレクション。親子でも趣味が全然違うそう。

俳優・今清水英一さんが生涯をかけて集められた日本の民俗文化のミニチュア模型の膨大なコレクションを、今清水さんが亡くなられたあと、宮脇館長が引き継がれたそう。今後、海洋堂ホビーランドの企画展としていろいろ入れ替えながら展示されていくとのこと。

樹齢1100年の木の根っこ。子供たちにこの樹の話をしようと館長室に置かれている。 

 アメリカで買った帆船が彫られた貴重な銀のプレート。
 

 

 

 館長室には館長が世界各国からコレクションした大小様々な造形品がずらりと並びます。

 

 

クリス・ウェイラス氏が作った実物大の恐竜の頭。全身で15mあるが体は中国で解体。頭だけが門真本社の屋上に設置されていたものを今回こちらに移転してきた。

門真市のバナナカステラメーカーとタイアップしてつくった館長の木刀カステラ(4本540円税込)当たりは館長フィギュアが入ってます!

 

(宮脇館長より)

ホビーランドを作るぞ!50年ほど前、ちっちゃなプラモ屋で小商いをしていた私は、「ホビーランドをつくるぞ!」と子供たちをケムリに巻いていました。

それは大ボラであるのか?分からないまま50年が経っていました。ですが、長い間イメージしたまま頭の中にあったホビーランドが、海洋堂ホビー館四万十、海洋堂かっぱ館、海洋堂フィギュアミュージアム黒壁龍遊館3ヶ所のミュージアムをつくったあとは、はっきりと姿を現してきました。

そのためにいろいろなモノを蒐(あつ)めていました私は、それらを観せることで、子供たちを驚かせ、子供たちの好奇心、創造力に奉仕したいと考え続け、気付けば93歳になっていました。むかし子供たちにホラを吹いた私の夢の実現であるのか?定かではありませんが、皆さまのご協力を頂いて、ホビーランドを創りました。どうぞ観てやってください。

海洋堂館長 宮脇修

株式会社海洋堂を訪ねて、編集後記

海洋堂を始める前にたくさんの仕事を経験されてきたこと、木刀が南北に倒れてプラモ屋の開業を選ばれたこと、

ホビーランド内に所狭しと並ぶ世界各国・日本全国から収集された大小様々な工芸品や人形、置物が宮脇館長の仕事への熱意の表れ。

それが周りを支えるスタッフさんたちに伝わって、今の海洋堂のカルチャーにつながっているのだと身の引き締まる思いがしました。

 

編集長:宮田「今回新しくオープンする海洋堂ホビーランドのユニフォームに弊社を選んでいただいたことをとても嬉しく思います。エンジニアコートを「よく伸びて動きやすい」と気に入っていただき、これから来場されるお子さんたちにも着てもらうのが大変楽しみですね。」宮脇社長、妹尾さん、そしてスタッフのみなさま、素敵なお話をありがとうございました!

 

株式会社海洋堂の概要
  • 【設立】1964年(昭和39年)4月1日創業
  • 【事業内容】
    ・ハイクオリティトイの企画・製造・販売
    ・カプセルトイ商品の企画・製造・販売
    ・関節可動式フィギュア(リボルテック)の製造・販売
    ・ガレージキット(組立模型)の製造販売
  • 【事業実績】造形工房
    ・玩具菓子のオマケに代表される立体ノベルティアイテムの造形企画制作
    ・雑誌ビジュアル・博物館・イベントなどのリアルフィギュア造形物製作
    イベントの企画・監修・制作
    ・日本最大の造形イベント「ワンダーフェスティバル」の主催
  • 【本社所在地】大阪府門真市柳町19-3  https://kaiyodo.co.jp/

 海洋堂ホビーランド
 【所在地】大阪府門真市新橋町3-1-101イズミヤ門真店3階

 【電話】06-4397-7100

  https://kaiyodohobbyland.jp/

 

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